虎の尾を踏んでも春の氷を踏む自分

虎の尾を踏んでも春の氷を踏む自分
虎尾春氷(こびしゅんぴょう) → 虎の尾や春の氷を踏む意から、危険なことのたとえ。

私は感情の起伏が激しい方だという自負がある。

そこには私なりの理由があるのだが、ギュッと集約すると時間を短縮したいからというところに落ち着くのだと思っている。

ただ、そんな私の性格を激情型だと受け取る人も多いのは事実だ。

偉ぶるつもりは全くないが、対外的に私との関係が部下となる人はそういう機会に巡り合うことが多いだろう。

私自身は激情型ではなく、劇場型だと勝手に思っているのだが、なかなか伝わらないものだ。

なぜなら、私はその人の核をつくような詰め方をする傾向にあるからである。

つまり、ぐうの音も出ないところを指摘するからなのだが、私からすると最大の優しさだと思っている。

多くの人はそこに対して受け入れざるを得ない状況になり、なにも言えなくなるのだが、なにもそれは相手に対してマウントを取りたいなどと微塵も思っていないことが理解されないことが多い。

そして、ときには逆ギレに近い感じであからさまに怒りを見せる人もいる。

それを虎の尾を踏むとか春の氷を踏むというのか不明だが、そういった経験も何度かしたことがある。

広島でのとある経験

未だに覚えている経験があるのだが、確か広島に戻ってきて起業してからしばらく経ったころだったと思う。

公益財団法人ひろしま産業振興機構という組織がある。

まあ、困ったときの駆け込み寺のようなところなのだが、そういった意味合いで利用している人も少なからずいるようだ。

私の場合、なんのビジネスに関してかはいまいち覚えていないが、とにかく新しく立ち上げるサービスをやるに当たって、公益財団法人ひろしま産業振興機構に行かないといけないとなった。

面倒だなとは思いつつも、少しでもなにかのきっかけになればと思い、訪れたときの経験だ。

公益財団法人ひろしま産業振興機構には、コーディネータと呼ばれる、いわゆる専門家の立場でコンサルをしてくれますといった立場の人たちがいる。

正直、私からすると、そんな人たちのコンサルなど全く役に立たないのだが、流れで会わないといけなくなった。

そこで出会った1人のオジサンがいた。

名前は伏せておくが、定年を迎えて、公益財団法人ひろしま産業振興機構で働くことになったというオジサンだ。

その経歴はよく覚えていないが、なんかスゴいんだぞアピールのすごかったオジサンだということは覚えている。

私の経験上、初対面で自分の経歴がスゴいんだぞアピールをしてくる人で実際にスゴかった人に出会ったことはない。

この手の人物を早い段階で見分ける方法については、実力が伴わない「名ばかりリーダー」を見抜く科学的根拠にも書いている。

結論、このオジサンもそっち側の人間だったことは言うまでもないのだが、その打合せでの出来事だ。

突然キレ始めるオジサン

その打合せには、私の今でも頻繁に仕事を共にしているデザイナーにも同行をしてもらっていた。

そのデザイナーともいろいろと打合せをやってきているので、彼は私の営業スタンスというか進め方をなんとなく理解していると思う。

決して私の力を過信しているわけではないのだが、私は打合せ中に真剣なモードに入りすぎないように適度にブレイクを入れることがある。

それは単純に笑いのエッセンスを入れるというものなのだが、どうやらそのオジサンには私の笑いのセンスが伝わらなかったようだ。

最初から私の話し方が失礼だといった感じで、激昂し始めたのである。

最初は冗談だろうと思っていたが、どうやらマジっぽくて、公益財団法人ひろしま産業振興機構の施設内にある美味しくもない喫茶店のようなところで打合せをしていたのだが、怒号が響いていた。

おそらく、私の言動が気に入らなかったのだろうが、終始、私の言動が失礼だということが言いたいらしい。

あまりにもキレているので、私も申し訳ないと表面上は謝罪をしたが、当然本心では微塵も申し訳ないとは思っていない。

それどころが、どれだけ小さいオジサンなのだろうと軽蔑さえしていた。

リスペクトがない人の話はとにかくつまらないし、コンサルと呼ばれる立場の人で本当にスゴいと思った人には出会ったことがない。

当たり前のこと、すでにかなり前からやっていること、どこかで聞いた情報をそのまま伝えてくることといった場合が本当に多い。

特に、公益財団法人ひろしま産業振興機構に出向しているような人の中には、自分で事業すらしたことがないような人がいたりするから驚きだ。

私からしたら、そんな人の声が生の声だと思えと言わんばかりの上から目線の方がよっぽど失礼なのである。

余談だが、当時 Needol と名乗っていた会社が今どうなっているかは、stak, Inc. の現在地を見てもらうのがはやい。

キレたオジサンのその後

なぜ、このキレたオジサンのことが記憶に残っているのか。

そこには後日談があって、キレられた当時の社名はNeedol(ニードル)という起業当初のものだったのだが、2019年2月に、stak, Inc. に社名変更をした。

stak, Inc. になってから、広島でベンチャー大賞を受賞したり、ピッチで優勝してアメリカ行きの切符を掴んだことで、少しずつ注目も集まってきて、多くの企業と繋がれるようになった。

確かソフトバンクグループと繋がったのがきっかけだったと思うが、ダイヤモンド・オンライン、TechCrunchなどの多くのメディアに取り上げてもらった時期がある。

【メディア掲載のお知らせ】 ダイヤモンド・オンライン ・TechCrunch
【メディア掲載のお知らせ】 日経ホームビルダー 2019年 9月号
【メディア掲載のお知らせ】 週刊全国賃貸住宅新聞 2020年3月9日号

アーカイブをザッと見てみてもこれくらいはすぐに出すことができる。

こういうのを掲載すると、少なからずアンチが湧いてくるので、一応書いておくが、なにも自慢したいわけではない。

こういったメディアに取り上げてもらうことで、少なからず効果があるということも伝えておきたいのである。

というのも、ダイヤモンド・オンラインに掲載された記事を見たということで、キレたオジサンから連絡があったのだ。

おそらく電話だったと記憶しているが、そもそも番号を登録していないので誰かわからず、留守番電話が入っていたので聞いてみた。

そのキレたオジサンが名乗っていて、久しぶりに連絡してみたけど、ダイヤモンド・オンラインに載ってたのは植田くんだよねといった内容だった。

締めは良かったら力になるからということで、折り返しの電話を要求するものだった。

本来は華麗にスルーする対象なのだが、なぜか面白がった私は折り返しの電話を入れた。

すると、君は最初からこういった舞台で輝ける人だと思っていたよといった具合いに気持ちの悪いくらい褒めだしたのである。

正直、私は笑いを堪えるのに必死だった。

そして、電話だけする予定だったのが、もう1人是非会っておいた方がいい人がいるからということでしつこいので、とある東京出張のタイミングで東京駅で何年振りだろうという再会をした。

そこには当時の記憶よりも明らかに老けた老人男性がいて、もう1人の連れてきた男も似たような風貌だった。

カフェに入って要件を聞くと、2人が相談役的なポジションでいろいろ動くから、月額10万円でコンサル契約をしないかといったものだった。

怒りや嫌悪感を通り越して、ある意味でスゴいなと感心すら覚えるその対応に笑えてきた。

大人になった私は、前向きに検討しますと席を立ったのだが、どうやらそのカフェの会計も私がする流れのようだ。

向こうから久しぶりに会いたいとわざわざ呼び出しておいて、必ず役に立つからと頼んでもいないコンサル契約をしないかと話しかけてきて、カフェ代も払わせる。

悲しいかな、こういう人が少なからず世の中には存在するのである。

こうした立ち回りも一種の処世術ではあるのだろうが、本当に通用する世渡りとは何かについては、「世渡り力」の経済的価値と歴史を変えた7人の達人たちで整理している。

まとめ

社会人になると、なかなか面と向かって叱ってくれる人というのは減っていくものだ。

それは相手にされなくなっていることかもしれないという危機感を常に持っておいた方がいいだろう。

その危機感を保つには、自分を外から眺める習慣が要る。

詳しくは自分自身を俯瞰で見ることの重要性に書いた。

若いうちは、虎の尾を踏むことがあってもいいし、春の氷を踏むことがあっても全然問題ない。

なぜなら、いくらでも取り返すことができるし、少々の逆鱗に触れたところで死ぬことはない。

そんなスタンスを私が変えることはないだろう。

科学が示す「踏まなかった後悔」の重さ

後悔の研究では、短期的には「やってしまったこと」への後悔のほうが強いが、長期的には「やらなかったこと」への後悔のほうが大きく残ることが繰り返し報告されている。

心理学者のトーマス・ギロビッチとヴィクトリア・メドヴェックによる一連の研究が広く知られている。

理由は単純だ。

行動した失敗には結果という区切りがあるが、行動しなかった選択には結果がない。

区切りがないものは、想像の中でいくらでも大きくなる。

虎の尾を踏んだ記憶は具体的な一場面として残る。

踏まなかった記憶は輪郭を持たないまま長く残り続ける。

本文で書いた広島での出来事も、踏んだからこそ後日談まで含めて一つの話になっている。

stak の視点

虎の尾を踏むかどうかは、勇気の問題ではなく時間の問題である。

危険に手を出してよいかどうかの判断基準は一つしかない。

失敗したときの復旧にかかる時間が、自分の残り時間の中に収まるかどうかだ。

若いうちは踏んでいいと言われるのは精神論ではなく、単に復旧の時間が確保できるからにすぎない。

年齢を重ねると同じ踏み方が危ないと言われるのも、勇気が減るからではなく、取り返す時間が減るからである。

stak, Inc. は「人件費=時間」を再定義することをテーマにしているが、リスクの計算も同じ座標で見ている。

金額で測るとリスクは「いくら失うか」になる。

時間で測ると「何ヶ月分の自分を失うか」になる。

後者で計算し直すと、多くの人が恐れている失敗が実は安いことがわかる。

頭を下げて済む失敗の復旧コストは、せいぜい数日から数週間だ。

一方で、踏まずに迷っていた期間は年単位で消える。

踏まないことのほうが高くつくという結論になる。

もう一つ書いておきたいのは、怒られる機会そのものの値段だ。

社会人になると面と向かって叱ってくれる人は減る。

これは自分が成長した証ではなく、多くの場合、相手が自分に時間を使う価値を見出さなくなった結果である。

時間は最も高い資源なので、他人が自分に時間を投じている状態は、それだけで希少だ。

中身が的外れであっても、投じられた時間の分だけは受け取っておいたほうがいい。

stak, Inc. が時間をどう資源として扱っているかは、stak, Inc. の公式サイトに整理している。

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